コーチ茂原陽の物語(ストーリー)
コーチとしての「想い」
「子供たちが憧れ、早く大人になりたいと思える輝く大人たちで、世界を溢れかえさせる」
コーチとして立ち上がった「想い」、、、
自分のようにちょっとしたチャレンジを抱えながらも、唯一無二な自分を信じて、
よりよい未来を目指す人達が、自分らしく歩み、飛躍と成長を手にする姿が見たく、、、
いつかの自分のように一生懸命に、眼の前の人生向き合ってきたのに、大切なものを失い、
いつしか自分自身の軸を見失い、
そしてその先の真っ暗闇な空っぽで心動かない人生に陥ってしまう、
そんな風に出会った人がなる前に、
もう一度自分自身をしっかり見つめ直し自分OKとなり、心動く未来・ゴールを描き、
そこに向かって歩みはじめ、成果と成長という果実を手にする姿をみたい、
その人の光り輝く姿を目にしていたい、、、
そして今の自分のように、自分の中にあるぶっとくも厚い芯である自分の想いを更に育て続け、
自分人生を心動くど真ん中で日々歩み、リーダーの中のリーダとしてますます飛躍し、
その人が光り輝き、子どもたちに憧れられるようになる、、、
そして、その先に、光り輝く日本をみていたい。
「あなたが今、何が何でもなんとかしたいことをブレークスルーし、今、何が何でも実現したい未来・ゴールをともに形にするコーチ」
コーチ茂原陽の物語(ストーリー)
「これは、コーチ茂原陽の物語である」
2002年初夏、
日本IBMのトップエグゼクティブを目指すという野望のもと、
営業に転向した彼は、幕張の事業所で研修に参加していた。
そんな彼に一本の電話が鳴った。
当時はまだ彼女だった妻からの電話だった。
こんな時間にかけてくることは無いと不思議がりながら電話をとった、、、
「〇〇に血が混じっていた、検査を受けないと、、、」
検査の結果、
最悪であり厳しい現実がそこにあった。
ただ、今思い起こすと、彼のコーチ人生はここからスタートしたのかもしれない。
「これからの人生、日々何を目標にして、何をやっていけばいいのか、」
そのことに思い悩む彼女を目の前にし、いったいどんな話をし、
毎日一緒に何をしていけばいいのかに思い悩んだ時、
すがるように学び始めたのが「コーチング」である。
スタートはコミュニケーション心理学系からはじまり、
以降、コーチングの学びはゆうに20年を超えている。
さんざん彼女の地雷を踏み、喧嘩もいっぱいしたが、
そこから5年強、彼女とは何にも変えることができない、
本当にかけがえのない日々を過ごした。
共に笑い、共に泣き、共に楽しみ、共に喜び、共に悩み、
共に学び、共に悲しみ、共に願い、共に挑戦し、そして共に歩んだ、、、
彼女が亡くなった後、
しばらくは日本IBMでチャレンジを続けていたが、
いつしかITの最先端を追い続けることと、
自分が人の本質に触れて、
人に深くかかわっていきたいという想いのズレがどうにもならなくなり、
IBMを辞めた。
その後、しばらくの間地に潜った日々を送ったらしいが、
彼はその頃のことを多くは語らない。
ただ消えなかった蝋燭の一筋の炎のように、
彼はコーチングを学び続けた。
そして2023年、
もう一度、自分人生やりたいことをやり、
充実した日々を手に入れる、
そう自分と小さくも大きな約束をし、彼はコーチとして起業した。
そこからは一気に駆け上がった、
4ヶ月100時間超えのセッションでコーチとしての最初の経験値を積み上げ、
2ヶ月でビジネスを整備し、コーチングビジネスをスタートした。
また彼は、コーチとしての武器を磨くことも怠らず、ずっと学びを続け、
たくさんの学びの友からの刺激ももらい続けた。
周りの人から「コーチとしてのマスターは誰ですか?」と聞かれると、
NLP創始者のグリンダーさんかな、
彼のセッションを目の前で見たけど、わずか15分ぐらいで通訳が入りながらも、
クライアントと関係性を創り上げ、
大きな変容を生み出す小さな変化を生み出した、
あのセッションは今でも忘れることができない。
様々なコーチのセッションを見てきたけど、
あれほど心が動いたものは無いと言っている。
ただ、酔っ払うと、亡くなった彼女は、本当に人の話を聴く天才だった、
誰でもどんな人でも一瞬で仲良くなってね。
「そんな彼女は永遠に追いつくことが出来ない師だね」とよく言っていた、、、
彼のコーチとしての想いは、
「子供たちが憧れ、早く大人になりたいと思える輝く大人たちで世界を溢れかえさせる」
その世界を生み出す、
まるで、雨に濡れた一輪の黄色い薔薇の花びらから、
たった一滴だけど、珠玉の一滴がこぼれ落ち、
その一滴が世界中に広がる波紋を生み出し、
世界に広がり伝播し続ける、その一滴のただの水滴を目指し続けた、、、
彼のコーチングの何が凄かったかと言うと、
・一瞬でクライアントとの関係を創り上げ
・なんでも素直にさらけ出せる陽だまりのような場を創り上げ
・クライアントともに、今、過去や、そして未来を共にありありと臨場し、
人の本質に迫り
・クライアントの感情体験を共に深く感じ、体験し尽くし、
・そこに珠玉の質問を投げかけた、時には甘く優しく、時には厳しくも冷徹に
・最後は、本当に小さな第一歩というGIFTをさずけ、笑顔で後押しし
・本当に笑顔に溢れ、心動く感情豊かなセッションであったらしい
「彼の想い」は広がり、
・Challengeする人たちが集まる場となり、そこから輝く人たちが生まれ続け、
・日本を牽引する想いを持ったリーダーたちが、さらなる飛躍を手にしていき、
・そのリーダーのもと、日本は元気になり、世界で光り輝いていった、、、
・更に、コーチングを通じて、世界をより良くするという想いを持ったコーチが集まり、
・コーチのチームを創り上げ、
いつしか世界に轟くコーチングファームになっていった、、、
彼は、様々な国の、様々な人たちのストーリーを聴き倒すという夢を追い続け、
様々な場所から、様々な人に繋がり、セッションをやり続けていた。
いつしか、世界でコーチと言えば、「茂原陽」という存在になっていた。
そんな彼は、何よりも1時間半程度の1対1のコーチングセッションをすることを
楽しみにしていた。
コーチとして、リアルに触れた人々は数えることができるかもしれないが、
その想いのバトンパスの先に、火をつけられ、輝いていった人は、
もしかすると無限大かもしれない。
そしてその光り輝く人と、その輝く人たちに憧れと想いを持って
チャレンジする若者たちとのシナジーの先に、
素敵な光り輝く世界が広がっていったらしい。
足がだんだんとおぼつかなくなった晩年も、
ハアハアしながら近くの公園に歩いていき、
お気に入りのテーブルの脇にちょこんと座っていた。
そんな彼のもとにはいつしか、
夢や希望を語る少年たち、
ちょっとした悩みや、ビッグチャレンジを語る大人たち、
恋やときめきを語る乙女たち、
そんな様々な人が集まって、時を共にしていたらしい。
そこで彼は多くを語ることはなかったらしいが、
ただ頷きと微笑みを返していたらしい。
それでも彼のもとには人が集まり続け、
1日中、人の笑顔が絶えることはなかったらしい。
彼の旅がいつ終わったかは誰も知らない、、、
そんな彼の墓石には、たった2つのメッセージが書き残されている。
1つは、「あなたらしい人生を、あなたらしい歩み方で、」
1つは、「死するまでコーチたりき」
彼の墓には、時々人が訪れるらしい、
まじで時々、彼らしい。笑。
「これが、コーチ茂原陽の物語です。」